レコジャケ ジャンキー! (音楽出版社 /2006年)

markbook2006-02-03

いわゆるレコードの”パロジャケ”を集めたムックだが、実に手が込んでいる。何より、レコードコレクターの末期的症状とも言えるパロジャケ収集に込められた並々ならぬ執念が感じ取れるし、「ビートルズ本ではありません。」という帯の注意書きやノンブル(頁番号)がレコジャケの切り抜き(例えば”1”はThe Beatlesのベスト盤『1』になっていたりする)も気が利いている。

本の表紙でもこれでもかとパロっているサージェントが格好のサンプルだが、The Beatlesのあらゆるジャケットは秀逸なパロディを作らせている。有名であればあるほどパロディの質と悪意も高まるというものだろうか。過去の作品のコラージュが様々な芸術活動にみられるようになってきた(ポストモダン的、とも言えるのか)日本においては、90〜00年代にThe Beatlesをはじめとにかく沢山のパロジャケが作られている。一からモノづくりをするのが難しい国民性のなせる業か。

この本、音楽ファンなら誰でも知っている、というレベルのものから、全く気がつかなかった!というものまでをほぼ網羅。個人的に気がつかなかったのジョージの『All Things Must Pass』とVan Morrionの『Veedon Fleece』。そしてJesse Ed Davisの『Ululu』とLee Ritenourの『Rit』なんてのも確かに似た雰囲気でビックリ。笑ったのはバッファローの『Last Time Around』とあのタイガースの『廃虚の鳩』のシングル盤。よく見れば明らかに似ているのだが、GSとウェストコーストロックのカルトバンドがどうしても結びつかなかった。しかもコレ、しばらく経って評価が定まってからの流用ではなく、発表年がかなり近接している所がいい。パロディと言えば聞こえはいいが、「ほぼパクリなのでは?」と疑いたくもなる危うさがパロジャケの妙味か。Bill Evans Trioのいわずとしれた名盤『Waltz For Debby』の淡い人影をちあきなおみに差し替えた『あまぐも』なんてのもやりすぎていたし、Elvisの『On Stage February,1970』をまるまる使った『西城秀樹リサイタル 愛・絶叫!』も中古盤屋で見かける度に似ているなとは思っていたが並べてみると圧巻だ。爆笑するほかない。

CD時代に入り表現の制約が増えたとは言え、多くの人々の目に触れる機会も多いレコード(CD)ジャケット。再生産がくり返されるほどに成熟した芸術なのだとつくづく感じた。ネットを通じたダウンロードが主流となりそうな気配の昨今、レコジャケ達の断末魔とならないことを祈る。